量子力学が発見されてもう100年以上が経ちますが、その秘密は未だ汲み尽くされてはいません。量子論の大きな特徴は、まじめに考えれば考えるほど、それが我々の常識と折り合いを付けるのが難しくなる事です。量子論は数学的には完璧に整備されているにもかかわらず、その底に言いがたい不可思議さを湛えています。そしてその不可思議さは量子力学の威力の源泉です。そのような隠された威力は最近の量子情報科学の大発展を見ても明らかです。
量子論の不思議さが集約的に現れる場合の一つが「点と線で作られたグラフ上の量子粒子」を扱うときです。例えば直線上を運動する粒子が「点」にぶつかったときに何が起こるかという、単純きわまりない問題を考えても、古典力学では跳ね返るか通過するかしかありませんが、量子力学では粒子が確率波である事と関係して一部が透過する、ぶつかるエネルギーによって透過したりしなかったりする、といった事が起こります。緩く当てると通り抜け、激しくぶつけると跳ね返るなんていう芸当も出来るのです。
このような不思議を一般的に扱うのが「量子グラフ理論」です。これは量子論に従う粒子(量子)の流れを数理的に探究する有力な手法となっています。この理論では一般的に、特異な応答を示す「節点」を仮定して、それを直線でつないだグラフ上での量子波の運動に新規性を見出すのです。すでに我々は、単純な応答を示す複数の節点が量子波の波長よりも十分小さな領域に集約されると協調的に動作して特異な応答を示す節点、「統合量子節点」として振る舞うことを示しました。これにより量子フィルタや新奇な量子流といった理論的に予言される現象を、複数の量子ナノ構造体を集約した「統合量子素子」を用いて実現する手法が確立されましたが、実験的な実証や量子素子としての有用性を示した例はまだありません。

このような実験的検証に必要な量子ナノ構造体は、分子線エピタキシャル成長法(MBE)や有機金属気相成長法(MOCVD)などで作製されるのが一般的です。しかしこれらの手法は真空プロセスを必要とするため、使用できる薄膜材料が限定されてしまううえ、製造プロセスの環境負荷が大きいのです。そこで本研究室では、独自に開発した「ミストCVD法」を用います。この手法は大気圧下でのプロセスであるため、環境負荷が小さく、使用できる薄膜材料の選択肢の幅も広がり、さらに曲面への薄膜形成も可能です。したがって統合量子素子の設計自由度が大幅に改善されるはずです。
ここで少し視野を変えて、光学の分野に目を向けると、光の波長よりも小さなナノ構造体を人工的な原子として設計することで光の制御を行なう「メタ物質」と呼ばれる研究が近年盛んに行われています。この技術を用いることで、光の回折限界を超えた超解像技術や物体を外部から見えなくする透明マントの実現が可能とされています。しかしこの技術は古典光学を基盤としており、量子論の観点から新しい機能性デバイスを探究する試みはまだほとんどありません。また複数の異なるメタ原子が協調的に動作することで生じる新奇な光学現象の研究もようやく緒についたばかりです。
本研究室では、量子グラフ理論を基にして統合量子素子における新奇な量子現象や量子流の探索を理論的に行なうとともに、量子薄膜や量子井戸といった量子ナノ構造体を用いて統合量子素子を作製して、光波あるいは電子波の応答による検証と評価を行ないます。
量子力学のなかの単純で奥深い不可思議を見つける事、そしてその不可思議を我々の目に見える形で取り出し、それを技術として役立てる、これが我々の研究室のテーマです。
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